こちらも続編… ギターのサイト内ではありますが、全くの脱線ページです!

おとぎ列車の廃線跡 2018

~45年後の狭山丘陵を、自転車で迷走して疲れたオヤジの記録~

素直に本音を書くと、2回目の探訪でトンネル跡の変貌が収穫できたことで味を占めたというか、今年はどう変ったかが気になって仕方なく、早い話が病気になりました(苦笑)。

不幸中の幸い?というか現地が比較的近いこともあって、半日あれば十分見て廻れます。

我慢するより行ってしまえと開き直り、「おまえにはガス抜きが必要だ」などと自分勝手に慰めの理由を呟き、昨年より半月遅い12月上旬の平日に出かけることができました。

ありがたいことに(よい行いの現れ?)当日は曇天・無風に近く、正に探訪日和です。

昨年より更に一つ年を取ったこともあって疲れはしましたが、でも行ってよかった!

 

今回の探訪でもう少し掘り下げたかったポイントは、

1.トンネル跡~中峰信号所跡の廃線跡のその後。→ 昨年は工事中だっただけに興味津々

2.当時の写真との定点対比。→ その後に入手できた写真の新たな紹介を兼ねて。

3.西武球場前駅からユネスコ村駅跡へ至る、探訪ルートの再確認。

4.鉄橋跡~西武遊園地駅跡までを探訪するルートの紹介。→ 私の探訪とは逆コース。

5.その他、発見があれば…

  ※この目論見はあくまで出発前の予定となり、ルートの紹介は全線に及んだのでした。

それでは行ってみませう!

 

※よろしければ 当時の写真編廃線跡探訪廃線跡探訪Ver.2 もご覧ください。

スタートはいつも同じルートなので割愛。いきなり下堰堤上からで失礼します。

ほぼ無風状態なので、湖面が凪いで鏡のような美しさで建物や紅葉を写し出します。

貯水池の反対側に目を移すと、となりのトトロで著名になった八国山を遠望できます。


いつもどおり、下堰堤中央部に設置された大好きな山岳表示板にご挨拶。

 

下堰堤の南端から奥多摩の屋根である “石尾根” がはっきりと遠望できました。

写真を拡大し、東京都の最高峰雲取山を上の山岳表示板を頼りに探してみましょう。

冠雪期は空気が澄んだ日が多くて更に鮮明に見えるのですが、堰堤上の寒さも尋常ではありません。すごく美しいのでそれだけの価値はありますけれどね(笑)。

※2017年とほぼ同じ文面ですみません…

①トンネル跡は昨年より荒れてしまっていた…

昨年(2017)の11月中旬に探訪したときは工事の前ぶれか灌木や雑草が見事に剪定されており、当時の軌道跡(に近い)が露呈していたことに歓喜したのでした。

本来なら立ち入れない場所ではありますが比較的完全に廃線跡が確認できる東端(西武遊園地に最も近い地点)として、貴重な遺構と言えます。

 

※写真は2017年11月に撮影したものです

むしろ何らかの工事準備が進んでおり、それがどのような内容で進むか、今後のこの地点がどのように変貌するかが気がかりで、真っ先にここを訪れたわけだったのですが…

 

ところが1年ぶりに現地を訪れてみると、何ともこの有様…

工事は進むどころか、ひと夏の旺盛な生命力で再び灌木や雑草の温床となっていました。


何のためにやったのでしょうかね? よろしければ昨年の同地点と比べてくださいまし。

私に軌道跡を見せてくれるためだとしたらありがたいのですが、多分違うでしょう(笑)。


軌道跡は昨年の方がマシなので再撮影は行わず、往年の写真と定点比較するための撮影を行いました。本当の定点は軌道のゴルフ場側なのですが、入れないためあしからず…


周囲道路が整備され、レオライナーの軌道が道路との隔たりを強化しているため、カーブの上り具合にしか当時を偲ぶところがありません。ガードレールや柵、ゴルフ場の雰囲気が、今日よりずっとのどかで牧歌的だったことが分かります。

②中峰信号所跡も資材置場のままで変わらず…

トンネル跡と中峰信号所跡は隣接しているため、ひとつのブロックとも捉えてよいと思います。この一帯が残された理由は、新設(といっても30年以上前ですが)レオライナーの軌道がこれらの跡地をゴルフ場側に迂回して敷設されたためで、中峰信号所跡の西端にはレオライナー用の “中峰変電所” が設けられて稼働しています。

中峰信号所跡はトンネル跡同様に、軌道跡が残された東端であるとともに、遊歩道から周囲道路越しに観察できる貴重な遺構と言えます。

※中央の茶色い屋根の建物が中峰変電所です。
※中央の茶色い屋根の建物が中峰変電所です。
※すぐ裏手をレオライナーの軌道が走ります。
※すぐ裏手をレオライナーの軌道が走ります。

ここからは、今回の目的であった当時の写真と今日との定点対比を中心に進めてみます。

本来なら私の撮影した写真を使いたいところ、一部の写真(ネガ)が見つからないままのため、お譲りいただいた写真も含まれますことをご了承ください。

③鉄橋跡を定点対比。

県道55号線を渡る鉄橋はおとぎ列車のハイライトのひとつでした。当時の写真は私の撮影と異なり橋脚や県道55号線が写っているのが特徴で、定点対比しやすいアングルですね。


※コンクリート橋脚は跡形もなく撤去されています。
※コンクリート橋脚は跡形もなく撤去されています。
※反対側も同様。ただの灌木の茂みと化しています。
※反対側も同様。ただの灌木の茂みと化しています。

*撮影者の許可を得て掲載いたしました。
*撮影者の許可を得て掲載いたしました。

*撮影者の許可を得て掲載いたしました。
*撮影者の許可を得て掲載いたしました。

この広場の画像は何回かに亘ってご紹介しましたが、廃線後に軌道を撤去した際、ほぼ平坦に整地されて公園化されたうえ、県道55号線から入れるようにスロープが設けられたので、場所が同じことは十分わかるのですが軌道跡をトレースすることはほぼ不可能です。

④堤新亭さん脇からの展望を定点対比。

西武遊園地を出発し~中略~鉄橋とS字広場を通過すると、県道55号線と一瞬接近してから堤新亭さんの裏手に廻りこみます。堤新亭さんの裏手はちょうど崖状になって展望が開け、狭山湖駅(現西武球場前駅)や狭山スキー場を一望にできるビューポイントでした。

40年の歳月を経て軌道跡は車道になり、崖下は墓地になり、西武ドームや大きなプレハブの出現で、もはや当時の面影を探すことは困難なほどの変貌ぶりに唖然とさせられます。


当時の写真は頚城2号が入線した昭和47年(1972)当時のもので、機関車の向き(正位)が西武遊園地駅方向で走行していることで分かります。牽引される客車も井笠鉄道からの客車(31形)が到着しておらず、おとぎ電車のルーフ付客車(21形)が使われています。

ちょうどこの地点には山側に謎のプラットホームがあったことでも知られています。

⑤随一の名所 “ガーダー鉄橋跡” を定点対比。


このガーダー鉄橋は県道55号線から離れ、ちょうど堤新亭さんを迂回してすぐのところにあった、西武山口線有数の撮影名所としてファンの人気を集めていました。

ちなみにこの下り坂を進むと、山口観音(金乗院)の境内に向います。

廃線後に軌道と鉄橋が撤去された後もしばらく橋脚と土手は残されていましたが、いつしかそれも撤去され、写真右側の土盛りに僅かに面影が偲べる程度になってしまいました。


正面の遊歩道(中央の上り坂)方向から進入する頚城2号で、ちょうどガーダー鉄橋を渡っているところです。軌道はおろか橋も橋脚も土手も撤去されているためイメージが繋がりにくいかもしれませんが、このアングルでほぼ定点に近いと思います。


厳密には同地点とは言えないかもしれませんが、県道55号線から離れて提新亭さんと住宅群を迂回し、崖との間に軌道が敷設された区間です。軌道跡は遊歩道になっていてそのままトレースできますが、崖面の植生や住宅の建て替え、塀や生垣も作り替えられており、何回か訪問しているのですが、当時と今日とで変わっていない部分が見出せていません。

⑥遊歩道化で埋没したサミット跡を定点対比。

過去に何回か取り上げましたが、当時の写真との対比としてご紹介します。

といってもアングルは決まってしまうのですが、遊歩道として残ったおかげで驚くほど当時の雰囲気が保全されていることに気付かされます。ここに再び軌道の敷設を願って…


*撮影者の許可を得て掲載いたしました。
*撮影者の許可を得て掲載いたしました。

県道55号線からそれて、これも撮影名所だった竹林を抜けサミットに至る僅か100mくらいの区間は、模型にするとスケールで再現できそうなほどの規模でありながら、情景の魅力が凝縮されて実に味わい深いものがあります。


サミット跡に立ってユネスコ村駅跡の方向を振り返ると、雑木林の中の勾配を登ってきた軌道跡を見ることができます。ここもユネスコ村駅跡までの遊歩道になって保全されているので、当時の面影を偲ぶことができる好スポットです。左側に僅かに見えるのが狭山湖方面への市道で車の往来も多いのですが、木々がそれをうまく遮ってくれています。

*撮影者の許可を得て掲載いたしました。
*撮影者の許可を得て掲載いたしました。

この写真の対比では、軌道跡のカーブと埋められた切り通しの関係がよく分かりますね。

*これから探訪してみたい方へ Ver.3 2018編

~ユネスコ村駅跡から西武遊園地駅への探訪ルートのおさらい~

これまで2回にわたって西武山口線(おとぎ列車)の廃線跡探訪を行ってきましたが、私の住まいの都合で2回とも西武遊園地駅跡からのスタートとなっていました。

ところが廃線跡として残された場所の多さや交通アクセスを考えると、ユネスコ村駅跡からの探訪をお勧めした方が楽しみやすいと考え、2017年編では西武球場前駅からユネスコ村駅跡までの訪問方法をご紹介しました。2018年も含めて3回の探訪でほぼ全域の写真が

用意できるので、それらを活用してユネスコ村駅跡スタートの探訪を構成してみました。

※各年代の写真が混在するので、年代を付記しました。→ 変化は殆ど感じられませんが…

2017年の探訪で比較的簡単に西武球場前駅からユネスコ村駅跡に出られることが分かったので、お勧めルートはユネスコ村駅跡がスタートですね。チェックポイントは、

西武山口線(おとぎ列車)開通30周年記念乗車券より路線図を使用させていただきました。
西武山口線(おとぎ列車)開通30周年記念乗車券より路線図を使用させていただきました。

①ユネスコ村駅跡

②サミット・竹林を通る廃線跡

③県道55号線に沿った廃線跡

④堤新亭さんまでの宅地の裏手と崖の間を迂回する廃線跡

⑤Sカーブがあった公園と鉄橋跡の確認

 

⑤までがビギナーコースで、県道55号線に出てから鉄橋のあった切通しを抜けて坂を降りると、西武球場前駅に戻ることができます。行程がほぼ遊歩道なので歩きやすいです。

 

⑥から西武遊園地までは行程が約3kmと長いうえ、遊歩道と廃線跡の間に多摩湖周囲道路が入ってしまうため、道路越しに廃線跡を追うことになりますので、チェックポイントの下調べや双眼鏡などの装備を検討しておく必要があります。主なチェックポイントは、

 

⑥鉄橋から山口信号所に至るスロープ跡 → 遺構は探訪ルポ(2016年)参照

⑦山口信号所跡 → 現在は狭山スキー場の建物があるため位置を確認します。

 ※⑥~⑦は廃線跡が関係者用通路に使われているのを確認できます。立入できません。

⑧中峰信号所跡 → 山口信号所跡~中峰信号所跡間は比較的距離があります。

⑨トンネル跡  → 遺構は探訪ルポ参照

⑩踏切跡    → 遺構なし。軌道跡の流れと踏切の位置を確認します。

⑪山口検車区跡 → 遺構なし。相当する広場を確認します。

⑫西武遊園地駅(遊園地前駅)跡 → 遺構なし。相当する敷地を確認します。

 

都心を朝のうちに出発すれば、日照時間の短い冬場でもゆっくりおとぎ列車の廃線跡探訪をお楽しみいただけるかと思います。注意事項は重複するのでここでは触れません。

2016年版 2017年版おとぎ列車の廃線跡探訪」をご併読いただければ幸いです。

①ユネスコ村駅跡

*撮影者の許可を得て掲載いたしました。
*撮影者の許可を得て掲載いたしました。

何回も登場したユネスコ村駅跡がスタート地点です。正確には駅の跡は整地されて柵の中なので立ち入ることができません。私が立っているのは踏切の跡で、山口観音(金乗院)の看板裏側の広場はユネスコ村の駐車場跡地です。右側の道路と並行して伸びる砂利道が、遊歩道として整備された西武山口線の廃線跡です。         2018年12月撮影

 

軌道跡である遊歩道を進むと穏やかな樹林帯に差し掛かります。この軌道跡自体が緩い登り勾配なのは、徐々に右わきを走る道路との高度差がつくことでも分ります。

坂を登りきった先が左カーブになっていてそこが①のサミット(峠)になります。

明るい築堤状から里山風の樹林帯へ変化する軌道跡をお楽しみください。

           2016年11月撮影

②サミット(峠)・竹林を通る廃線跡

坂道を登りきった先にある左カーブです。

右の土手の下は並行して走る道路です。

遊歩道らしく休憩所も設けられていますので、ここで軽食をとるのもよいでしょう。

なかなかの勾配区間で、ここを軽便の機関車があえぎあえぎ登っていた時代を偲ぶことができます。

 

 

           2016年11月撮影

上掲の坂とカーブを登りきり、ユネスコ村駅跡方向を振り返ったところです。

ここが①サミット(峠)の頂部ですが、何回か触れているように軌道があった時代では切り通しだった部分が埋め戻され、自然の地形に近づけられてしまいました。

私も当初はそれに気づかず、この坂道の部分は廃線跡ではないと思っていました。

 

           2016年11月撮影

サミットの頂部から進行方向(西武遊園地駅)を見たところです。両脇の竹林は軌道があった時代からの撮影名所でした。

軌道跡の遊歩道は、坂を下りきると左カーブで県道55号線沿いに変ります。

遊歩道ではありますが、坂の下には飲食店数件があって自動車が乗り入れていますから注意が必要です。

 

           2016年11月撮影

上掲の竹林を下った先の、県道55号線に出たところからユネスコ村駅跡の方向を振り返ったところです。竹林を抜けてサミットへ至る様子が分かると思います。

ここから数百メートルは県道55号線に沿って走るロケーションとなりますが、引き続き遊歩道として楽しくトレースすることができます。

 

           2017年11月撮影

更に引いてみるとこんな感じです。

軌道跡が県道55号線から分かれて竹林を経てサミットの方向へ分岐する感じが伝わると思います。

 

 

 

 

 

           2017年11月撮影

③県道55号線に沿った廃線跡

この位置から振り返って西武遊園地駅跡の方向、つまり歩行する進行方向を見たところです。県道55号線に沿って遊歩道が続いていくのが分かります。

駐車中の自動車の位置で撮影しているポジションが分かりますね。

 

 

 

           2016年11月撮影

山口観音(金乗院)の赤い山門を過ぎると軌道跡は県道55号線に沿って緩やかに左にカーブします。

 

 

 

 

 

 

           2016年11月撮影

カーブの途中から。

県道55号線と軌道跡の遊歩道の位置関係がよく分かります。

これだけゆとりがあると、軌道を再度敷設したうえに遊歩道も残せるのではないかと無茶苦茶なことを考えてしまいます。

この場合の無茶苦茶とは、安全や維持管理といった現実をないがしろにした自分勝手な妄想を指します(苦笑)。

           2016年11月撮影

カーブを曲がりきったところで、軌道跡は県道55号線から離れて内側へ入ります。

少し分かりにくいですが、軌道跡の遊歩道に黄色い進入止めの柵があり、やや右下に向って下り勾配が始まっているのが分かると思います。ここから堤新亭さんの裏手を廻りこむ、崖沿いのルートが始まります。

 

 

           2016年11月撮影

軌道跡に立って西武遊園地駅跡方向を見たところ。黄色い柵を過ぎると急激に下っている様子が分かります。上掲の写真とは撮影方向が反対なので、下り勾配は左カーブを描いています。

 

 

 

 

           2016年11月撮影

④堤新亭さんまでの宅地の裏手と崖の間を迂回する廃線跡

上掲の黄色い進入防止柵まで進んで、更にその先を撮影したものです。

軌道跡の遊歩道としては続いているのですが、何故かここからは少し荒れているので歩行には注意が必要です。

 

 

 

 

           2017年11月撮影

更に先へと進みます。軌道跡の遊歩道は右側の県道55号線に沿って建てられた店舗や住宅の裏手と、左側の崖との狭小地をぬって進みます。別項でも触れましたが、昭和20年代に西武山口線がユネスコ村駅までの延伸を工事した際、既にここには堤新亭さんをはじめとする数件の建物があったために、それらを迂回するルートを設けざるを得なかったと思われます。

           2017年11月撮影

住宅、軌道跡の遊歩道、崖の位置関係はこんな感じです。

晩秋から早春にかけてではないと、木々や灌木が茂ってなかなか地形の観察は難しいですし、虫が凄いです(たぶん)。

 

 

 

 

           2017年11月撮影

更に先へと進むと、軌道跡の遊歩道(というよりもう山道ですね)は緩い右カーブを描きながら急激に下ります。

この急激に落ちた地点が、かつてガーダー橋があった場所の橋台を撤去した場所にあたります。

 

 

 

           2017年11月撮影

その急落した地点(橋台跡)から進んできた方向を振り返ったところです。

私が立っている位置は山口観音(金乗院)へ続く道との交差点で、かつてこの道は軌道をガーダー橋でアンダーパスしていたところ、軌道跡を遊歩道に整備した際に交差点に改修された経緯があって、このようなやや強引なルートになっています。

 

           2017年11月撮影

遊歩道の下り坂と山口観音(金乗院)へ続く道との交差点を俯瞰したところです。

軌道跡の遊歩道はここで一旦途切れます。

というのは、ガーダー橋を渡った先の橋台と築堤がまるまる撤去されて失われておりこの先数十メートルは歩くことができないためです。ここはその場所を偲びながら、下った坂を右折して堤新亭さん方向へ坂を上りましょう。

           2017年11月撮影

ガーダー橋を撤去した跡に立って軌道跡をトレースすると、軽便鉄道ならではの強引さで右へ急カーブしながら、画面中央のブルーシートの辺りで東屋(あずまや)の方向へ向きを変えています。

つまりあの東屋は軌道跡のほぼ真上に建てられたものと思ってよいでしょう。

 

 

           2018年12月撮影

坂を上がって再び軌道跡に戻りました。

ここは遊歩道ではなく車道に改修されています。軌道跡は本来東屋の方向へ進みながら左カーブを描いてガーダー橋に至っていましたが、車道に改修された際、左へくの字に曲げられて山口観音(金乗院)へ至る道と接続されたためこのような地形になりました。この道の左側が堤新亭さんです。

※この写真はユネスコ村駅跡方向です。

           2016年11月撮影

進行方向は西武遊園地駅跡方向です。

右側は堤新亭さん。左側はかって崖で狭山湖駅(現西武球場前駅)と狭山スキー場のビューポイントでしたが、崖は墓地に造成され、高層建築で視界は遮られました。

軌道があった頃、この右側には謎のプラットホームがあったことでも知られていました。この先で再び県道55号線に接近し、左方向へSカーブ広場に進入します。

           2017年11月撮影

上掲の道路(軌道跡)が行き着くと、県道55号線に出ます。ここは左側の崖との狭間でくびれになった地形で、軌道跡は中央のやや高くなった部分を直進し、左側の山腹に沿って左カーブを描き鉄橋に至ります。

ここがSカーブ広場ですが、遊歩道が途切れているため、ここに入るには一旦県道55号線に出て電柱の先にある広場の入口から進入するので、注意が必要です。

           2017年11月撮影

⑤Sカーブがあった公園と鉄橋跡の確認

県道55号線に出たところのアップです。

電柱と左側の山腹との間が軌道跡ですが、何故かフェンスが設けられていて通行できないので、県道に廻りこんだ先の石垣のある入口からSカーブ広場へ入ります。

「遊歩道」という看板に一貫性を感じないので、何とかして欲しいところです。

 

 

           2017年11月撮影

Sカーブ広場に入って上掲の廻りこみの部分を撮影。県道55号線と堤新亭さんとの位置関係をご確認ください。

 

 

 

 

 

 

           2016年11月撮影

県道55号線を渡って道向かいから広場の全景を撮影したものです。

軌道は左側の山腹の際に敷設されていましたが、広場に歩道として設けられた踏み跡が紛らわしいので注意が必要です。

この写真を撮影した数日後に雑草の剪定が行われたらしく、同じ2016年11月の撮影とは思えないほど広場の様子が変わっています。

           2016年11月撮影

広場の中から軌道跡を撮影しました。

前述のとおり軌道跡は左側の山腹際に敷設されていたので、中央を横切る踏み跡をそれと勘違いしないよう注意が必要です。

つまり軌道跡は画像中央の小さな灌木とその左側の山腹の間を抜けて、正面の空間である鉄橋に至っていたと思ってください。

 

 

           2016年11月撮影

軌道跡を進んで、かつて鉄橋があった地点まで進みました。踏み跡はなく柵も無く危険ですので、立入はお勧めできません。

下の道路は北へ進路を変えた県道55号線です。

 

 

 

 

           2018年12月撮影

廃線跡探訪を続けるには、一旦この広場から抜け出す必要があります。不思議なことに先ほどまでたどってきた廃線跡の遊歩道は、その終点について何の案内もされていないのです。この項では西武遊園地駅跡を目指すため、この広場から周囲道路に沿ったサイクリングコースを兼ねた遊歩道に移動することにします。そのため踏み跡をたどって「慶性院山門」を通って県道55号線に出ることにします。  2018年12月撮影

⑥鉄橋から山口信号所に至るスロープ跡

「慶性院山門」を出て下ると県道55号線に出ます。横断歩道を渡って手前側に来ると公衆トイレがあります。

背後には多摩湖の上堰堤があります。

ちなみに私が撮影している場所は、この場所に大きく架橋されたサイクリングコースを兼ねた遊歩道上からです。

 

 

           2018年12月撮影

その上堰堤と公衆トイレです。

周囲道路に沿ったサイクリングコースを兼ねた遊歩道に出るには、公衆トイレ前の横断歩道を左側に渡り、更に小さく見える横断歩道を上堰堤側に渡る必要があります。

この二つの横断歩道には信号機がありませんので、十分な注意が必要です。

横断歩道を上堰堤側に渡ると、前述のサイクリングコースを兼ねた遊歩道に出る小道が分かると思います。  2018年12月撮影

ここからは「サイクリングコースを兼ねた遊歩道」からの撮影ですが、長ったらしいので周囲道路とさせていただきます。

画像中央の雑草地帯が、鉄橋から山口信号所に至るスロープになった軌道跡です。

フェンスの向こう側は西武ライオンズの練習用グラウンドになっており、そのためか立入禁止の札が下っています。この場所自体に危険は無いと思いますが、道路を渡ることは危険です。   2018年12月撮影

⑦山口信号所跡

廃線跡はスロープ跡から周囲道路に沿って続くのですが、改築によって狭山スキー場の建物が周囲道路の際まで増築されたことでその部分は建物に飲み込まれてしまっています。ただ当時から山口信号所は周囲道路より低い位置にあったことのみを、偲ぶことができます。

 

 

            2017年11月撮影

狭山スキー場の建物を過ぎると、廃線跡は業務用の道路として活用されていることが分かります。残念ながら立入禁止です。

 

 

 

 

 

 

           2018年12月撮影

西武球場(西武ドーム)が近づくと、業務用道路は業務用の歩道に変って続きます。

相変わらず立ち入りはできませんが、今日でも西武山口線の廃線跡をトレースできることはありがたいことです。

 

 

 

 

            2018年12月撮影

廃線跡は西武ドームと周囲道路との間を、業務用通路として続きます。

緑色のフェンスと白いガードレールの間が業務用通路と植え込みになっています。

 

 

 

 

 

           2016年11月撮影

ちょっと反則ですが廃線跡の状況を確認するために、西武ドームの業務用入口まで立ち入ってみました。周囲道路を渡る必要があるので、同じことはしないでください。

右から西武ドーム、緑色のフェンス、業務用通路、植え込み、白いガードレール、周囲道路の順で廃線跡を分割しています。

向きは、振り返ってユネスコ村駅跡方向を見たところです。

            2016年11月撮影

同地点から西武遊園地駅跡方向を見たところです。廃線跡は植え込みとしてのみ残されていて、業務用通路はもうありません。

ユネスコ村駅跡から西武山口線の廃線跡探訪を続けてきましたが、連続して辿れるのはここが終点で、中央の白い小屋から先はレオライナーの軌道が建設され、廃線跡が確認できる場所は限られてしまいます。

 

           2016年11月撮影

その白い小屋の脇まで進んでみると、右側に開削されたトンネルが現れます。

これがレオライナーの軌道で、トンネルを抜けた先には西武球場前駅があります。

先述のとおりここからは西武山口線の廃線跡とレオライナー軌道の重複が続きます。

 

 

 

            2016年11月撮影

⑧中峰信号所跡

西武遊園地駅跡方面に1kmほど進むと、レオライナーの軌道がゴルフ場側に迂回する地点があります。ここが久々に現れた西武山口線の廃線跡「中峰信号所跡」です。

 

 

 

 

 

           2018年12月撮影

この建物は中峰変電所で西武山口線が廃線になった後、レオライナー用に建設されたものです。現在稼働中なので、廃屋ではありません。

 

 

 

 

 

            2018年12月撮影

この空地が中峰信号所跡です。といっても軌道と信号所があったのは作業通路と思われるグレーの砂利道と周囲道路の間くらいで、ブルーシートがかかった辺りは当時はゴルフ場の敷地でした。

画像中央の中峰信号所跡が終わる辺りから先に、トンネル跡と続きます。

 

 

           2018年12月撮影

⑨トンネル跡

トンネル跡が見える場所まで進みました。

周囲道路が勾配になった高みの位置が石垣になり切り通し状になったところですが、その脇まで進むと内部を観察することはできないので、詳細はトンネル跡の項をご参照ください。

 

 

 

            2017年11月撮影

周囲道路から辛うじて見えるトンネルの遺構です。危ないので周囲道路を渡ってまでの観察は控えましょう。

中の様子は 2017年の探訪 でご紹介中。

ここから先はレオライナーの軌道がほぼ西武山口線の廃線跡に敷設されているので、廃線跡としてご紹介できるのはここまでです。

 

            2016年11月撮影

西武遊園地駅跡に向ってしばらく歩くと、レオライナーの東中峯信号所の脇を通ります。この信号所はレオライナーになってからの設備で、野球やコンサート等の多客期に増発された列車の交換に使用します。

向きは、振り返ってユネスコ村駅跡方向を見たところです。

 

 

            2018年12月撮影

東中峯信号所を過ぎて数百メートル行くとレオライナーは徐々に下り勾配となって、トンネルに入ります。

このトンネル上の交差点がかつての踏切跡で、踏切自体の遺構は何もありませんが、画像中央のコンビニ裏手の空地がかっての軌道跡と思われます。※立入できません。

 

 

           2018年12月撮影

⑩踏切跡(遺構なし)・⑪山口検車区跡(遺構なし)

コンビニの駐車場に入って西武遊園地駅跡の方向を見たところですが、これまで辿ってきた周囲道路は右側の掬水亭さん(三角屋根のビル)の前を通っているので写っていません。交差点を渡って正面左側に西武遊園地の入口(西口)があり、下っていくと駐車場とレオライナーの「遊園地西駅」があります。西武球場前駅へ早めに引き返したい方は、廃線跡探訪をここで打ち切ることも可能です。    2017年11月撮影

掬水亭さん前まで進んで交差点を振り返ったところです。レオライナーはトンネルで廃線跡は開削されて原形を留めません。

いずれも掬水亭さんの裏手で、現在位置の周囲道路からは観察できない場所です。

向きは、振り返ってユネスコ村駅跡方向を見たところです。

 

 

           2017年11月撮影

上掲の位置から更に進んだところで、ここは既に西武遊園地駅跡のプラットホームがあった場所の脇に着いています。

周囲道路を隔てた遊園地の敷地内、ここは西武山口線のプラットホームが撤去された後に遊戯施設が建てられていましたが、現在はそれも撤去され空地になっています。

まるで廃線になった直後のような、そんな雰囲気を感じられるとよいですね。ちなみに遺構はありません。 2018年11月撮影

⑫西武遊園地駅跡(遊園地前駅跡)

ようやく西武遊園地駅跡に到着です。

お疲れ様でした。実は写真右側にジャイロタワーという展望塔がそびえていて大きな目印になるのですが、高すぎて画面に収まらないので割愛した次第。

かつてはここに西武遊園地駅の改札と西武園遊園地の入口が設けられていましたが、

遊園地の入口は更に東側にある観覧車方向の駐車場側に東口として移設されました。

           2017年11月撮影

決してお勧めはしないですが、柵越しに見える遊園地式内の西武遊園地駅跡の現状は写真のとおりです。空地にはなっていますが、ホームや駅舎跡の遺構はありません。

これでユネスコ村駅跡から続けてきた西武山口線の廃線跡探訪のルート紹介を終わりにします。多摩湖の下堰堤も間近にありますので、ここはぜひ堰堤上に立って都民の水瓶として竣工して100年の貯水池の風に吹かれてみてください。2018年12月撮影

お帰りには、近くの「現・西武遊園地駅」から西武多摩湖線で国分寺・西武新宿方面へ。

レオライナーで引き返すかたちで西武球場前駅を経由して狭山線で、所沢・池袋方面へ。

少し離れますが、東の西武園駅から西武西武園線で東村山・西武新宿方面へそれぞれ向かうことができます。この西武園にアクセスする各線の成り立ちにも紆余曲折あって興味深いため、場所を改め別項にてご紹介中です。ぜひご笑覧ください。

<お願い>

廃線跡探訪については様々な楽しみ方があり、現在の様子から往時の路線跡を探しながらそのルートをたどることが基本ですが、軌道があった時代の遺物を発見するという考古学的な楽しみもあります。本編ではその遺物についてはあまり触れないようにしました。

なぜなら紹介したとたんに小さなものは持ち去られ、大きなものは傷つけられたり落書きされたりと悲しい末路に繋がることが多いからです。発見は場数を踏み目が肥えてくると自然に飛び込んでくるものです。そしてそれは現地を訪れた方のみが味わえる大きな喜びです。どうか長い年月を残ってきた遺物たちをいたわり、優しく接してあげてください。