こちらも続編… ギターのサイト内ではありますが、全くの脱線ページです!

おとぎ列車の廃線跡 2017

~44年後の狭山丘陵を、懲りずに自転車で迷走したオヤジの記録~

ふとしたネガの発掘から 当時の写真編廃線跡探訪 まで発作的に突っ走ってしまいましたが、特に後者は大した下調べもせずに敢行しただけあって不完全燃焼感がありました。

各位のご厚意で、裏付けとなる貴重な写真をお借りできたりと、HPに揚げてみて本当に良かったと思う反面、詰めの甘かった部分については悔いも残りましたので、もう少し煮詰めてみようと決心。疲れるのを分かっていながら、2017年11月 再度敢行しました。

忙しさにかまけて半年以上も放置してしまったのは私の怠慢です。なんとかならんかな…

 

今回の探訪でもう少し掘り下げたかったポイントは、

1.掬水亭さんの裏手から最初の踏切に至る廃線跡。

2.トンネル跡~中峰信号所跡の廃線跡。

3.Sカーブ広場から堤新亭さんの裏手を抜ける、崖沿いの廃線跡。

4.西武球場前駅からユネスコ村駅跡へ至る、探訪ルートの確認。

5.その他、発見があれば…

  ※この目論見はあくまで出発前の予定であり、現地へ着くなり変更されたのでした。

それでは行ってみませう!

スタートは前回と同じルートなので割愛。いきなり下堰堤上からで失礼します。

やはり廃線跡や古城跡の探訪は、日照時間が短いことを除けば初冬から早春にかけてが最適ですね。動いていれば寒くないし、葉が落ちて見通しも利くし虫もいません。

 ※冬の東京平野部は寒いうちに入らず。

下堰堤の向こう側に西武遊園地が見えました。シンボルのジャイロタワーと大きな掬水亭さんを取り囲む紅葉が見ごろです。

汗ばんだ顔に湖上の風が涼やかですが…、去年と何かが違う。どこが変ったのだろう?

奥多摩のシンボル雲取山までが一望のもとに!
奥多摩のシンボル雲取山までが一望のもとに!

とその前に、下堰堤中央部に設置された大好きな山岳表示板にご挨拶。いつもここに来て忘れたことを思い出すのが “双眼鏡”。廃線跡探訪には不要なので、持ち物のリストアップに入らないことが原因でしょう。でも望岳だけが目的なら降雪期の方をお勧めします。堰堤上は吹きっさらしで寒いことこの上ありませんが、山々雪をいただいた姿はまた格別。けしからんことに、ここ一年の間にキズを付けた不届き者の輩(やから)がおるようです(怒!)。

①遊園地前駅(旧西武遊園地駅)跡

さて西武遊園地が近づくにつれて、その何かが分かってきました。かつてのおとぎ電車駅(西武遊園地 → 遊園地前)の跡地、更に遡れば多摩湖ホテルの跡地に鎮座していたジェットコースター(ループ・スクリューコースター)が撤去されているではありませんか。尤もこれは私が知らなかっただけで、平成24年(2012)事故により運行を休止。設備老朽化のため今年の2月をもって解体されたとのことでした。

おとぎ電車の駅以来、この位置に建物の無い状態を知らないので、この光景にはしばらく見入ってしまいました。更地になったことで、何となくここにおとぎ電車の駅が存在したシーンを回想できたのは、当時を知る者にとってうれしい出来事でした。

ここは狭山丘陵の尾根筋にあり、一段低くなっているところまでがおとぎ電車の駅敷地跡の範囲です。西武遊園地では今後この場所がどう活用されてゆくのでしょうか?

②掬水亭さん裏手から最初の踏切に至る廃線跡

掬水亭さんの前から、かって踏切があったT字路を撮影。このアングルがいちばん昔の雰囲気に近いかな?信号機は無かったし多摩湖の周囲道路もこんな立派ではなかったけれど、信号機の先のこんもりした木立の前に、未だおとぎ電車の軌道が存在するような錯覚を覚えてしまいます。

レオライナーって、本当にコンクリート軌条の新交通システムで作り直す意味があったのでしょうか?おとぎ電車の軽便軌道を改良した LRT 方式で共存させることが出来たら素晴らしかったのにと、思うばかりです。

最初の踏切があった交差点にオープンしたコンビニ駐車場から、跡地の全景を撮影。

写真を拡大していただくと掬水亭さんビルの左下に進入路があって、その左側はすぐレオライナーのトンネルになっています。

当時は進入路の左側が軌道だったので、その跡がそっくり開削されてしまい、痕跡を留めていないというのが残念な結果です。

右側にはレオライナーの遊園地西駅と西武遊園地の駐車場へと続く入口があり、坂道を下った広場がかつての山口検車区跡ですが、当時を偲ぶ痕跡は何も残されていません。

そのコンビニ駐車場の裏手に空地があってそれがほぼ、おとぎ電車の廃線跡に相当します。草が刈られているので、何か建設されるのでしょうか?その先はレオライナーの軌道となり、ちょうどトンネルを抜けて登り勾配になった辺りに出ます。

 

ここから先はしばらくおとぎ電車とレオライナーの軌道がほぼ重複しますので、廃線跡を見つけることは困難となります。

③トンネル跡は疲れもぶっ飛んだ光景だった!


驚きました。トンネル跡に到着して思わず我が目を疑う光景がそこにあったのです。

去年の探訪時は右写真のとおり一面が灌木の茂みに覆われて土手の一部を確認することがやっとだったのですが、見事に刈り取られて廃線跡の地形がそのまま露呈していました。

今回の探訪収穫ナンバーワンといっても過言ではありません。

 

トンネル跡から西武遊園地方向を見たところ。この区間は何故かレオライナーの軌道(中央のフェンスの外側)が逸れているため、西武遊園地寄りでは最も廃線跡が明確に分かる地点となりました。草を刈ると軌道敷が現れるような錯覚さえ起こします。


トンネルが開削されたのは廃線前に遡っておとぎ列車の機関車が交代した時で、台湾から購入されたコッペル2両がやや大形だったことによります。そのため草刈りによって露呈した廃線跡の状態が、トンネル開削後の状態そのままかは分かりかねます。

多摩湖周囲道路側の石垣は撤去されて拡幅。道床跡は50cmほど盛り土されています。

フェンスが切れた先、ちょうど日が当たっている辺りからいかにも古そうな石垣が続いていますが、これはトンネル開削後のもの。それでも40年以上の経年ですから、古びていても当然と言えば当然ですね。トンネルの中は緩いカーブだった記憶とピタリ一致します。


右写真を撮影した位置とほぼ同地点です。なんか草が切れている線がかつてのトンネル入口とほぼ同じですね。石垣との対比でも軌道跡が浅くなっているのが分かると思います。

 

道床跡から西武遊園地方向を見たところ。

やはり拡幅と盛り土が行われているため、往年よりもかなり浅く感じます。

機関車が大形化されたときに勾配の負担を軽減するため、トンネルを開削時に盛り土をして勾配を緩くしたのかもしれません。

でもこのなだらかな曲線は、良い雰囲気を残していますね。

 

同地点からユネスコ村方向を見たところ。

ここはトンネルの中だった地点で、出口は少し先の方になります。

やはりかなり浅い感じは拭えません。


少し位置が先になりましたが、こんな感じでしょうか? 当時の私は、左写真の20mくらい手前あたりで右の写真を撮影していたはずです。草が刈られていた後にコンクリートが打たれていますが、ここに何ができるのでしょうか? もしかしたらトンネル跡の見納め?

続いて更地の中峰信号所跡。何かを建設中?

トンネル跡の先に続く中峰信号所跡。トンネル跡の延長で片付けてしまうには惜しい内容なので、別項でご紹介することにしました。

 

中央奥に前項のトンネル跡が見えます。

灌木は更に幅広く剪定され、砂利の工事用道路とコンクリートが打たれた通路が作られています。おとぎ列車の軌道跡は、コンクリート通路の左端くらいだと思います。

 

灌木はさらに広く剪定され、更地になっていました。工事現場入口のゲートが設けられ、その先には灌木に埋もれていたレオライナーの中峰変電所が姿を現しています。

おとぎ列車はここで2線1面の島式ホームを介して交換(すれちがい)を行っていましたが、敷地はこんなに広くはなく、背後の高いフェンスの反対側は西武園ゴルフ場が広がっていました。

 

昨年(2016年)の同時期はこんな感じ。

先にある変電所も遮られて、何があるか分からないほどの灌木に覆われていました。

下に中峰信号所の遺構が残っているのではという、アンコールワットあるいはマヤ遺跡的な夢や期待はこちらの方が膨らみますね。現実に露呈したのは悲しいほどの更地ではありましたが…


中峰信号所跡の先(ユネスコ村方向)にあるこの藪には思い出があり、右写真を撮影するときによじ登った土手がここに眠っています。土手の下の軌道幅はほぼそのままですが、多摩湖周囲道路は拡幅されて立派になっていますね。右写真の奥には中峰信号所のホームと交換を終えたおとぎ電車が写っています。レオライナーがこの位置を逸れて敷設されたことで、軌道が重複するエリアでは最も廃線跡を偲べる区間となりました。

⑤Sカーブから堤新亭さん裏手に至る難コース

他の項でも述べましたが、おとぎ電車が当初の終点である「上堰堤駅」から「ユネスコ村駅」へ延伸させた際、セオリーどおりなら多摩湖周囲道路 → 県道55号線に沿って敷設するべきところ、先に堤新亭さんをはじめとする建物群があったためにその裏手にある斜面(崖に近い)との間に迂回させるという、おとぎ電車随一の露出しないコース。言い換えれば道路から見えなくて列車に乗らないと通れない区間を出現させてしまいました。

ここには隠れ撮影名所だったガーダー橋があったり崖に沿った軌道だったりと、軽便鉄道色が最も濃くて出色のシチュエーションだったのですが、どこを探しても当時のこの区間のみ撮影した写真やネガが見つからないという悔いが残る区間でもあります。

2016年の探訪ルポと重複する箇所もあるかと思いますが、改めてトレースした報告です。

 

おとぎ列車は鉄橋で県道55号線を渡るとSカーブ広場で北に向きを変えます。

上段の細長い写真は広場の全景。

右が西武遊園地、左がユネスコ村側です。

 

左写真は鉄橋跡付近からSカーブ広場を見たところで、軌道跡はかなり木立に寄って急カーブで敷設されていました。

 

軌道は木立と電柱の間を通って堤新亭さん方向へ抜けていました。

 

この道路はほぼ軌道跡ですが、車道にされたことで大きく地形が改変されてしまっています。右側の崖下は墓地が造成され、そこへ降りる枝道も作られています。

ここは遮るものがなく見晴らしが良くて、おとぎ列車の時代は狭山湖駅(現西武球場前駅)が遠望できるポイントでした。

山側に片側1面の謎のホームがあったのもここです。右の建物は現在の堤新亭さん。

 

軌道跡の車道を進むとやがて崖下へ下る道となり、山口観音(金乗寺)へ続きます。

ここにルート改変のトリックがあり、かつての軌道はこの下り坂をガーダー橋で渡っていたのをご記憶の方もあると思います。

実際の軌道跡は右側のあずまや方向へ一旦張り出し、左へ急カーブを描いてガーダー橋を経て、写真左側へ続く建物と崖との境をユネスコ村方向へ続いて行くのでした。

 

坂の下からガーダー橋跡を見たところ。

坂道の左側にブルーシートが置いてありますが、そこから道の右側にかけてが何となく凹地になっているのがお分かりですか?

実はここがガーダー橋のコンクリート橋脚と、それに続く大きな土手を撤去した跡なのです。おとぎ列車の廃線後もしばらく放置されていましたが、廃線跡を遊歩道に整備する際、取り除かれてしまいました。


この地点の左右をアップにするとこういう感じです。あずまやの辺りからカーブを描いてガーダー橋の土手とコンクリート橋脚(ブルーシートのある凹地)を通り、反対側の橋脚と土手(今は遊歩道の入口となっている急坂)を経て建物と崖の間の軌道が続いていたのです。どうですか? 当時の情景を想像して思い浮かべていただければ嬉しいのですが…

 

坂を上がりきったところからが軌道跡で、坂道の部分は全て撤去された大きな土手とコンクリート橋脚ということになります。その体積は、地中の分も含めるとかなり大きかったことがうかがい知れます。


左写真は、坂を上がった先の軌道跡(遊歩道)からガーダー鉄橋跡の方向を見たところ。

道の先が下っているところからが、土手とコンクリート橋脚を撤去した跡になります。

軌道跡(遊歩道)は歩きやすく整地されていますが、ところどころバラストが顔を覗かせたり、レールを流用した柵を見つけることもできます。下草も枯れているので冬場ならではの廃線跡探索が楽しめますよ。

右は相模原市にお住いの K.T.様よりお借りした写真で、ほぼ同じ地点から同方向を見たところです。K.T.様の場合は道床から外れて斜面に降りたところで撮影されているため、おとぎ列車時代の地形がよく分かります。K.T.様にはこの場を借りて、お礼申し上げます。

※写真を拡大すると列車がガーダー橋地点で、右に急カーブしているのが分かります。



廃線跡の様子を4枚。

左上:上掲の位置から100mほどユネスコ村方面に進んだところ。

右上:更に100mほどユネスコ村方面に進んだところ。

左下:右上の位置から振り返ってユネスコ村方面を見たところ。ゲート(進入止)の先で

   県道55号線の脇に出るため、堤新亭さんからの迂回ルートもここまでとなります。

右下:ゲート(進入止)の横からで軌道跡(遊歩道)の左側が斜面で切れ落ちています。

おとぎ列車の廃線跡は、S字カーブ広場からユネスコ村駅跡の区間をほぼ完全にトレースすることが可能です。それも同区間は遊歩道として整備されているため、僅かな痕跡を探し出して点と点とを結ぶようなベテラン的手腕を必要としないこともうれしい特徴です。

但しほぼ完全とはいえ遊歩道にされていることで、地形を改変したり枝道が分岐していたりで、ルートを見失う可能性もあり、これは注意していただくしかありません。

ひとつ言えることは、これが鉄道路線の跡だということです。可能な限りアップダウンや急カーブを避け、軌道が極力スムースな軌跡を描かないと鉄道として機能しません。

おとぎ列車の場合は軽便鉄道規格ということもあって地形に沿った急カーブの連続だけは生じていますが、こうしたポイントに留意することで正確な廃線跡に繋がると思います。

*これから探訪してみたい方へ Ver.2 2017編

~西武球場前駅からユネスコ村駅跡への直行ルートを目指せ!~

2016年の初探訪ではおとぎ列車に沿った廃線跡巡りしかしなかったため、西武球場前駅からユネスコ村駅跡への訪問方法も、県道55号線経由の紹介だけに留まってしまいました。

ユネスコ村が閉園し、敷地の一部は宅地分譲されてしまった今日。以前は園内を通過しなければならなかった西武球場前駅(旧 狭山湖駅)~ユネスコ村駅跡のルートが最短で結べるかを探索してみました。

 

西武球場前駅の改札です。向って右側が西武ドーム。左側がユネスコ村跡や山口観音(金乗院)方面になります。

分ると思いますが、改札を出る方向で見ると左右が逆になるのでご注意ください。

なまじ自宅からの自転車エリアの駅であるため、狭山湖駅時代を含め利用したことは殆どありません。唯一の利用は小学校時代の遠足で、それも貸切電車でした。

 

改札を出て西武ドームと反対側を見ると、県道55号線越しにコンビニが見えます。

歩道橋でも横断歩道でも渡れますので、先ずは県道の向こう側へ渡ります。

食料や飲料が必要な方はここで用意しておきましょう。この先に売店はありません。

※途中、山口観音の向いの観音茶屋さんで

 食事もとれますが、営業日と営業時間に

 ご注意ください。

 

大きな歩道橋が掛っているので、まぁわかるでしょうと。道路は県道55号線です。

渡ってすぐに降りると上掲のコンビニ(写真中央の建物の1階)があります。

歩道橋からの降り口は画像を拡大してご確認ください。

 

歩道橋の袂から広い参道が設けられており「山口千手観音」のアーチ看板に向って伸びる道を進みます。

※探すまでもなくわかると思います。

 

アーチ看板と書いてしまいましたが、プレ山門の役割も担っているようですね。

参道を更に奥へ進みます。余談ですが周辺には山口観音(金乗寺)をはじめ、狭山不動尊、高照寺、興信寺などが集まって寺町にようになっています。古刹なのは山口観音で、遥か昔の奈良時代の建立とのこと。

この辺りは勾配も緩く、歩きやすいと思います。

 

先ほどの参道が行きついた場所に山口観音の山門(写真右の赤い建物)があり、その左の坂道を直進します。

 

ちなみにこの直進する道は、更に坂を登りきると堤新亭さん近くの廃線跡に出ることができます。ちょうど迂回した廃線跡と県道55号線が合流する辺りかな?

 

50mほど登ると分岐があり右折します。坂道ではありますが、狭山丘陵自体が穏やかな地形のため、勾配はきつく感じてもそれほど長くは続きません。


その右折した地点からぱっと視界が開け、割とストレートな上り坂が現れます。

左手は山口観音(金乗寺)、右側のお休み処は観音茶屋さんというのだそうです。

うどんやお団子で著名なのだそうですが、コンビニとちがって営業時間や定休日を調べておいた方が良さそうですね。坂を登って回り込む感じは右の写真で。

 

坂を登りきったところで右に折れますが、右折というよりは右カーブに近いです。

 

正面に左上に登る坂道らしきものが見えますが、あれは墓地内の通路でそちら方向へは向いません。

 

S字を描くように坂を登りますが、こんなところ(失礼!)まで上った先に宅地があるとは思いませんでした。


最後の坂を登りきると、待ちに待った平坦地が現れます。ここがユネスコ村駅跡に隣接する山口観音の駐車場です。振り返って今まで坂道を登ってきた苦労をねぎらいましょう。

お疲れさまでした!

 

ちなみに駐車場側からの降り口として見るとこんな感じです。まぁ他に降り口らしい道は見当たらないと思いますので、探すことは無いと思います。

 

ユネスコ村駅跡に出て、おとぎ列車廃線跡の起点を見たところ。西武球場前駅から徒歩でここに出ると、廃線跡探訪は道なりに進むだけなので、とても分かりやすいと思います。写真中央を横切る道を左に進むと上掲の降り口に続きます。

緩やかにカーブを描く道は県道55線ではなく狭山湖(山口貯水池)を経て小手指方面へのアクセスに使われています。

別項でも触れましたが、道の右側に沿ってかつて狭山湖(山口貯水池)を建設した際に資材運搬用として敷設された軽便鉄道がありました。今から100年近く前のことですが、この場所は “ダブル・トワイライトゾーン” でもあるんですよ。マニアックですね(笑)。

 

西武球場前駅からユネスコ村駅跡へは、意外にあっさり到達できたと思われる方も多いと思います。でもユネスコ村駅跡は在りし日の西武山口線跡を探訪する西側の出発点でもあるのです。そう、廃線跡探訪の醍醐味はここからがスタートなのです!

これまでの探訪は私の住まいの関係で西武遊園地駅跡を出発点としていましたが、2018年編ではその逆コース。交通アクセスの利便を考慮した探訪ルートのご紹介を行うべく、3度目のアプローチを敢行しましたので、(よく飽きないものだと)ぜひご笑覧ください。

 

都心を朝のうちに出発すれば、日照時間の短い冬場でもゆっくりおとぎ列車の廃線跡探訪をお楽しみいただけるかと思います。注意事項は重複するのでここでは触れません。

2016年版 2018年版のおとぎ列車の廃線跡探訪をご併読いただければ幸いです。